2016年9月10日土曜日

遠きカイラス

サガ

「皆さんにお知らせしなければならないことがあります。」と夕食の後、陳さんから言われました。


嫌な予感が走ります。

「実は2日前、この先75km付近で橋が壊れました。私達がシガツェに泊まった日に、夜、雷が鳴ったり雹が降ったりしましたよね。あの時に壊れたようなのです。
今、新しく橋を造り直しているところですが、完成するのには時間が掛かりるため、大型車でなければ通れる近くの迂回路を通ってカイラス側に渡っている車もあるようだと今日聞きました。
今日、途中でフランス人達の乗った大型バスとすれ違うときに、私達が彼らと長く話していたのを覚えていますか?彼らは大型車なのでカイラスを諦めて帰るところだったんです。あの時の情報なのですが、夕食前に公安の事務所へ行って確かめたところ、公安からこんな動画を貰うことになりました。」


と、見せられたのがワゴン車や4WD車が泥にはまって動けなくなっている動画が3本です。迂回路は選択肢からはずすしかありません。
となると、橋ができるのを待つということになります。
「いつごろできるんですか?」

「公安に聞いてもはっきりしないんです。」


みんなカイラスだけを目指してきただけに、一気に気持ちがよどんでしまいます。
って、多分一番ショックだったのは私なんだけど、私はダメだと決まるまでは諦めません。




最後の最後までやれることは全てやって、はっきりしないうちに自分で諦めてしまうことは絶対にしない!
これが鉄則!  

自分で諦めさせようとしている存在の思うつぼになんか絶対になってやらない
戦わないけど諦めない! やめない! 最後まで!!
結果じゃないんだ。  ベクトルなんだ。  想いなんだ、大切なのは。



これからどうするか話しましょうという長老の声かけで陳さんとソランさんと主要メンバーが検討を始めます。「明日の夜までにできなければこのホテルに泊まり、明後日の夕方までにできなければ次の朝、帰路につきましょう。」という結論を出しました。


明後日の夕方までにできれば、運転手さんが夜中になっても運転すると言ってくれています。4時か5時に出発できれば、夜12時から2時の間にはホテルに着けます。
睡眠を取って次の日の午前中にカイラスの周りを多少歩くことができるということなのです。

元々その日の午後にカイラスを出発する予定でしたから、駆け足カイラスだけれども、とりあえずそこまでならカイラスへは行けるということです。それ以上は日本に戻る飛行機に乗れなくなりますから論外です。

その夜、自分のガイドさん達に会いに出かけました。

一番最初から一緒にいてくれる犬の小太ちゃんが、私が行くと待ちかねたようにしていて、もの凄いスピードでチューブに連れて行ってくれました。
????

チューブの先はここ。
今まで思い当たらなくて本当に悪かったんだけど、小さくもないのに小太郎って名前を付けて悪かったね。

ここからチューブを逆に通って、凄いスピードでいくつもの何かがヒマラヤ近辺に降りていきました。私が気づくのが遅過ぎたのか....

2日目

次の日は、朝食を取ってからは公安の建物の前にできた順番待ちの列にマイクロバスを並べて待ちます。
バスの中にいても気は紛れないから、タウンウォッチングです。
命を頂いて生きているんだと再確認させられる場面にも出会いました。



日常の中に仏様方がいます。国道を通るダンプのほとんどのフロントグラスには、パンチェン・ラマ10世や11世の写真が立てかけられています。ダライラマ法王の写真を公の場で掲げると犯罪になるので、他に選択の余地がありません。


出ました!ネパールにもよくある日本製のふりしたお菓子。
スニッカーズは「しりっか」って書くんですね。


公安の前で橋のできあがりを待つ団体は、私達だけではありませんでした。
ブロンドのかわいい娘がいるなあと思っていたら、向こうから話しかけてくれました。

「 Buddhist monk?」

話してみると、ロシア人グループの一員でオルガという名前だそうです。

カイラスのコルラ(巡礼行為としてカイラス山の周りを祈りながら歩いて回ること)を3回もやったことがあるチームリーダーと一緒に来たそうです。

ロシアもソビエト時代が終わってから、やっとスピリチュアルな行為が許されるようになったということで、自分を自由に表現できて嬉しいと言っていました。
解禁となってやっと10年ということで、まだまだスピ発展途上だと言っていましたが、それまで抑えられていただけに求める姿勢に純粋さが感じられました。
最近読んだ『アナスタシア』と繋がるようで嬉しかった。



街ブラをしただけで、何もせずに終わった午前中。
とは言っても、今までも何もせずにバスに乗っているだけだったので、大して変わりがないと言えば.....


昼食に入った店の店頭には、これが。
まあ豚肉に対する食欲は落ちるでしょうね。
私の場合にはもともと豚肉はほとんど食べないので関係ありませんが。

入った個室の番号がこれ。666はミロクと読みます。

力を持った数字で、使わせたくない意図から欧米では悪魔の数字とか言われたりしますが、アジアでは未来仏、弥勒菩薩を表す数字です。ラサを出て初めて行ったガドン・ゴンパの弥勒菩薩様を思い出します。今回は弥勒様に見守られる旅なのでしょうか。


橋待ちをする私達のバスに、反対車線からやってきた地元のダンプの運転手が傷を付けます。
小さく見えますが、板金を考えると、かなりの面積の鉄板をはずさないと修理できません。凄い値段になりそうです。

最初は陳さんも結構ひどく怒っていました。

かなりいいかげんに無理矢理入って来て傷つけた形でしたから、仕方がないなと思っていましたが、若いダンプの運転手さんは、ひたすら謝り、自分の責任だと言って全く責任逃れをする様子がありません。狭い道なんか運転した経験がなかったのかもしれません。日本とは道路事情が違いますからね。

最初は怒っていたドライバーさんも、彼の真摯な姿勢にだんだん言葉が穏やかになってきます。

最後に陳さんが私達にした報告では、バスは当て逃げをされたということにしてバス会社の保険を使って直すことにしたということです。ダンプの運転手さんの会社の保険を使うこともできるのですが、そうするともう彼は随分の減給になってしまうようでした。うちの運転手さんとソランさん陳さんの申し出に、かれは気持ちとして数百元を置いていったようでした。
公安さんは見て見ぬふり。いいとこあるなあ。

お互いが気持ちよく別れられる結末で何よりでした。ありがたいことでした。



午後3時頃のように見えるかもしれませんが、中国は全土が北京時間ですので、サガでは8時頃まで日が昇りません。当然10時くらいまでは明るいのです。

一日が終わりました。




そして3日目

建築資材を運ぶトラックが多い中、先頭に駐まっていたのは野菜を積むトラックでした。もう5日目です。葉物はダメになってしまっているでしょうね。二番目に駐まっていたのは冷凍車でした。
カイラスまでの町は食料にも困っているかもしれません。


ソーラーの街灯です。省エネなんですが、壊れたときに太陽光発電パネルは自然を破壊してしまうのが難点です。回収をして処理をすることは考えていないんだろうなあ....


サガの公安さん達が、朝一番で橋の状況を視察に行ってくれました。
10時過ぎだったでしょうか。
公安さん達が帰ってきて、何やら発表しています。
私達のドライバーさんやオルガ、そしてオルガ達のチームリーダーなど大勢の人達が公安さんの部屋に詰めかけています。

張り詰めたような雰囲気の中で、オルガ達のチームリーダーに” Good news? bad news? ”と聞くと、シーっと指を立てられてしまいます。

しばらくしてみんなが出て来たところで陳さんに聞いてみます。

「橋は9月1日にできると言っています。」
「じゃあ、ダメですね。私達が日本に着く日です。」
「みんな公安さんの言うことを信じていません。いつも長目に言ってそれより早くなるんです。」
「.........。」

「今、ドライバーさんが、カイラスにいる同じ会社の仲間に、迂回路の泥道の所まで来てくれるように電話で頼んでくれています。」

左が私達のドライバーさん、右が私達の公安さん
「ドライバーさんは、実は公安さんと一緒にカイラスをコルラするつもりでいたんですよ。

二人で約束して、皆さんが出かけている間に、1日だけ夜明け前から出かけて、夜暗 くなるまで歩いてコルラしようって約束していたんです。私達には3日かかっても彼らには1日で充分ですから。そのつもりだったから、夜中に走っても私達を連れて行ってくれる と 言っていたんですね。

でも、もう橋はできない。だから、今度は彼は、向こうにいる自分の会社のドライバーさんに迂回路の手前まで来て貰って、私達と公安さんを向こうのバスに引き渡そうとしているんです。泥道は車は通れなくても人は歩けますから。

でもね、向こうにはもうガソリンもないんですよ。
だから彼はそのつもりで、朝、ガソリンタンクを用意して車に積んだんですね。皆さんの荷物の所に彼が積んだガソリンタンクがありますよ。」

「えっ?でも、それじゃあドライバーさんは行けないんじゃ.......。」

「そうですよ。それでも彼は私達を行かせたくて頑張っているんです。

実はね、公安さんもこの旅行の監視に来るために、上司にえらく高いお酒を渡して、やっと来させてもらったんだそうです。カイラスをコルラするのは彼らチベット人の夢なんですよ。

それを知っているから、そしてゼンポウ先生が、カイラス以外に行きたいところはどこにもないってソランさんに言い切ったでしょ?それも知っているから。自分は行けなくても他の人達にはカイラスに行かせてあげたいって、ドライバーさんはそう思って、今やれる限りのことをしてくれているんですよ。」


泣けました。


寡黙な人で、言葉も直接通じないのでお話ししたことがありませんでしたが、嬉しかった。


結局、現在カイラスにいる人達も帰ることができなくてホテルに留まらざるを得ない状況で、私達が行っても泊まるところがないこと。バスの中で一夜を過ごすには、あまりに気温が低すぎること。また、橋は今日の夕方までにはとてもできそうもないことを考慮して、私達は戻ることに決めました。

オルガに頼み事をして、「好運を祈っているよ。」と彼女とチームリーダーに伝えてバスに乗りました。ロシア人グループにはもう3日が残されているようでした。



まいったなあ。
でも、必ずまた来るよ。少なくとも俺だけは。



























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