私達がシガツェに泊まった日は、シガツェで祭典のある日でした。チベット族の若者達が歌や踊りや楽器の演奏を披露する場でもあったらしく、私達のホテルにはチベット族の若者達や共産党のえらい人達が泊まっていました。
四星だったかな?天井の装飾もこんなに手がこんでいる立派なホテルでした。
陳さんから「えらそうな人達が食事を終えてから私達の食事にしましょう。」と提案があり、私達はどっと笑ってしまいました。
「えらそうな人」って、陳さん日本語メッチャ分かってる。(⌒-⌒)
公安さんもえらそうな人達と一緒に食事を取るのは嫌らしく、みんなで時間をずらして遅い食事を取りました。「難癖付けられたらかなわんで!」です。
翌朝もえらそうな人達とは時間をずらして食事を取り、早めにタルシンポ寺へ出かけました。
タルシンポ寺は、ラサに次ぐチベット第2の都市、シガツェの中心的存在である巨大な僧院です。
最盛期には4700人もの修行僧を擁し、現在も800人程度の修行僧がいるとのことです。
阿弥陀如来の化身とされる歴代パンチェン・ラマの寺です。
ダライラマ14世(観音菩薩の化身)がパンチェン・ラマの化身として指名した当時6歳のゲンドゥン・チュキ・ニマ少年が行方不明になり、中国政府が指名したギャルツェン・ノルブ君がパンチェン・ラマ11世ということになっています。
朝、どこかへ急ぐ修行僧の後ろ姿が颯爽として爽やかでした。
チョルテン(亡くなった高僧を供養するための塔)が朝日に輝いて綺麗です。
修行僧達の顔を撮るのは失礼だと思い、後ろ姿を撮っていましたが、シャッターの音に気づいたのでしょうか。水を替えていた彼にとうとう怒られてしまいました。
つかつかとにじり寄られて、思いっ切り睨まれました。
” Sorry, very much sorry. ” でした。
考えてみたら永平寺でも修行僧を写真に撮らないで下さいねとは言うんですよね。
撮った人に写真を削除しろとは言わないまでも。
この建物の前の欄干部分に素晴らしいエネルギーが感じられました。
建物自身は決して軽いエネルギーではなく、むしろ重いエネルギーを持っているので、中に入る気にはならないのですが、前の部分のエネルギーがなぜか素晴らしいのです。
私達のグループの長老はそこに座ってしばらく動きませんでした。
タルチョを付ける柱の先端に月が綺麗に見えていました。
この柱が天をつくように中庭の真ん中に立っているのは、とても心地良く感じられました。ヤクの毛皮が使われています。
窓には、ヤクの毛で編んだ布が着いていました。
ヤクの毛で織った布は、雨が降れば湿気を通さず、乾いてくれば風を通すという特性を持っているということで、便利な物のようでしたが、なにせ高価なものになるようでした。
政治に翻弄された先代パンチェン・ラマ10世の霊塔殿には素晴らしい壁画や黄金でできた像があるのですが、ご本人の辛さ苦しさが残って、お気の毒です。
私達の長老が霊塔殿の外で癒しの歌を歌って下さいました。ありがたいことでした。
右の写真は修行僧の履く靴です。街の仏具屋さんでも見ましたが、全て手作りです。鮮やかな色が綺麗ですね。
3階が心地の良い広場になっています。
よく見ると、その下の階では、修行僧が仏像に掛けられたカタ(薄い、本来はシルクのスカーフ状の布で相手の幸せを祈りつつ、あるいは相手への尊敬を表して相手に掛ける物)を整理してたたんでいるところでした。
本当に心地の良い場所で、この中庭を囲む場所でどれくらい写真を撮ったか分かりません。全部お見せできないのが残念ですが、いや見せられても困るって?
左の写真は僧院の壁です。
チベットによく自生している柳の枝を土に混ぜてあるようです。
こうすることで、地震から建物を守るのだそうです。
ダライ・ラマ5世の教師を務めたパンチェン・ラマ4世の霊塔殿は単独で建っています。
単独で建っているのは、この4世と先代の10世パンチェン・ラマだけです。
建物の柱です。
こんなに細かい細工を柱1本1本に施してあります。
繰り返しになりますが、どれだけの労力がかかっているのでしょうね。
アルハンブラ宮殿の石の細工にも驚きましたが、これはこれで、彩色まで綺麗に施してあるので手が掛かりますよね。
通路をくぐったところで、光と影の美しい光景を眼にしました。いちいち綺麗です。
タルシンポ寺を見終わると、一路オールドティンリーという町まで走ります。
チョモランマの見えるホテルに泊まると言うことでした。
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